カーリングシニア日本代表としてノルウェーに行ってきました
しばらくぶりのブログ更新です。昨年度のカーリングシーズンは私にとって一番長いものでした。それというのも3月に日本シニア選手権に優勝し、4月後半にノルウェーのスタバンゲルという街で世界選手権に出場したためです。おかげで例年ですとのんびり惰性でカーリングをしている時期に、はっちゃきこいて練習せねばならなかったのです。鈴木内科便りにその様子を少しだけ紹介したので、転載いたします。応援いただいた皆様、ありがとうございました。また、ご迷惑をおかけいたしましたことをご容赦ください。
鈴木内科だより6月号より
世界シニア選手権のご報告
去る4月20日から27日までノルウェー スタバンゲルで行われたカーリング世界シニア選手権に日本代表として参加してきました。スタバンゲルはノルウェーの南部に位置し、北海油田の拠点都市として発展してきた街です。わたしはそこまで4月17日にロンドン経由で、乗り継ぎの待ち時間を含めて20時間でつきました。いまの国際線は映画が充実しており、退屈せずに過ごすことができます。映画を3本みて、ご飯を2回食べたら別世界とは地球も狭くなったもんです。
世界シニア大会は五輪競技である世界男女混成ダブルスと同じ会場で行われます。世界ダブルスには現役のオリンピックを狙う選手たちがきます。ですから世界シニアに出ると旬の有名選手たちとも交流を計れるわけです。翌日のチームミーティングには、平昌五輪で金メダルを獲ったスウェーデンのアンナ選手がきていました。私と彼女は10年前にスウェーデンの同じカーリングクラブにおり、旧知の仲でした。オリンピック優勝のお祝いを一目、直接伝えたかった思いを、期せずして果たすことができました。彼女も良く覚えていてくれ、西洋式にぎゅっと抱擁してくれました。私のおじさんチームメイトたちから羨ましがられたのは言うまでもありません。
写真 平昌金のアンナと銀のオスカー選手と
世界48カ国のダブルス代表とシニア代表が参加した開会式は壮観でした。いやおうなく気分が高揚しました。
写真 開会式
写真 開会式後、日本選手団で検討を誓う。
肝心の試合ですが、私達は世界大会仕様のアイスに大混乱をきたし、大乱調。今回のアイスは滑りが遅く、非常によく曲がり、未経験のものでした。スケート場をカーリング用シートに作り変えると、専用シートとは随分異なると聞いてはいましたが、聞きしに勝る難しい氷でした。世界選手権常連のスコットランドとスイスに敗れたのはともかく、ポーランド、スロバキアにまで敗れ、あえなく予選敗退してしまいました。ポーランドとスロバキアには本来の力を出せれば勝てる相手でしたし、勝たなきゃいけないチームでした。予選6試合のうちアイルランドとイングランドに勝ち、2勝4敗で終わりました。私としては極めて不完全燃焼で残念な結果でした。
一試合だけ、ご紹介したいと思います。それは初戦のスコットランド戦です。スコットランドはカーリング発祥の国で、現在も強国です。そのスキップ、デイビットスミスさんは10年前まで世界チャンピオンをカナダと奪い合っていた私の憧れの選手でした。私がカーリング初心者だった20年前の日本には教材がなく、知人からもらった彼のVHSを擦り切れそうになるまで勉強したものです。
写真 独特な投法をするデイビットスミス選手
また、今も私が宝物にしている作戦教書があります。それはデイビットスミスさんのコーチたちが15年前に著したもので、今も繰り返し読んでいるものです。そんな私の憧れの師匠たちと世界の舞台で試合ができるなんて、神様が与えてくれたご褒美としか思えません。試合前日に「私はあなたの試合を見て勉強してきました。対戦できることを心より光栄に思います」と伝えたところ、背筋を伸ばして握手をしてくれました。試合は3-6と少ない点差でしたが、内容は完敗でした。試合後に宝物の教科書を出してサインをお願いしたところ、サードのマイクヘイさんが、「あれ、この本、俺も書いているな」と監修者の名前を示してくれました。なんと、期せずして家宝の本の監修者と試合をし、サインをいただけたという、これまた望外の嬉しい出来事でした。試合後は嬉しくて雲の上をふわふわ歩いている感じ。まるで少年みたいでした。
写真 スコットランドのレジェンドたちと
現役選手たちの大会には無い、シニア大会の楽しいところは試合後の交流でした。試合後は両チームで酒を酌み交わすのです。毎晩、素敵な夜でした。特に面白かったのはスロバキアの爺さん方との交流です。両国ともに英語を話せません。やおらスロバキアの爺さんが翻訳機械のポケトークを取り出しました。彼がその器具を通してスロバキア語で何やらしゃべりました。すると単調な機械音で「あなたは何年カーリングをしていますか?」と日本語が飛び出しました。それには日本チーム一同「おー、すごーい」と大喜び。通じた様子がわかったスロバキアチームも大盛り上がり。ポケトークを通じて大いに盛り上がりました。そして話題は年齢へ。スロバキア選手がなにやらポケトークに話すと、機械は大声で「わたしは年金受給者ですが、まだ働いています」と無機質に話しました。年金受給者という響きが私たちの自虐的な笑いを誘いました。すると、日本側は「手に職を持っているのは素晴らしいことですね」「私も来年、退職します!」とこれまた大声でポケトークに叫びました。そのジジ臭い会話を翻訳機器に向かって大声で言い合う光景がおかしくて、おかしくて。通じないことも多かったですが、スロバキア語と日本語しか話せない人々が、曲がりなりにも楽しく意思疎通をし、酒を飲んで盛り上がれたのはポケトークのおかげです。技術の進歩のおかげで世界はより一層近くなってきました。
写真 スロバキアとの宴会
国際的な大会の最終日には参加者による盛大な、さよならパーティーが開かれます。多くの選手たちと記念写真を撮ったり、ダンスを踊ったり、楽しかったですね。パーティーの終わり頃に、名残を惜しみながら会場を一回りしていたら、少し離れた後ろから「ヘイ!」と声をかけられ、振り向きざまにユニフォームを投げて寄こされました。スコットランドのユニフォームだ!ハッと顔を上げると、そこには私のスター、デイビッドスミス選手がグラス片手にニコニコして立っていました。頼んでもいないのに、わざわざ部屋へユニフォームを取りに戻って、私を探していたんですね。小躍りするほど嬉しかったです。
この大会を振り返るに私のカーリング人生を形成してきた主要な人物たちと交流したり、ユニフォームをいただいたりと夢のような大会でした。カーリングの神々から大きなご褒美をいただいた気がします。今度は自分が最後に投げるスキップとして、もう一度出場してみたいですね。
写真 大会専属カメラマンが撮ってくれました。